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2020.10.30
『MONEY TALKS 奇貨居くべし −呂不韋の最強投資術−』

歴史学者 三石晃生の不定期連載“知られざる、偉人とお金のはなし” 第五回 呂不韋

呂不韋(? - B.C.235年)

呂不韋(りょふい)は、古代戦国時代の秦の宰相であり、彼が食客たちに編纂させた漢籍が『呂氏春秋』である。 大人気漫画『キングダム』(原泰久/集英社)でも大胆不敵な巨魁として描かれていた呂不韋だが、呂不韋は商人の出自である。彼がどうして一介の商人から秦という大国の実質的支配者・丞相にまでのぼりつめることができたのか。そこには、中華最大の「お金」の物語が隠されていたのである。

「商い」の語源

秦の始皇帝が登場するまで、伝説の時代を除けば中国全土が統一されたことはなかった。呂不韋の活躍した紀元前3世紀ごろは、中国大陸は戦国七雄という七つの大国、秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓によって支配され、戦争を繰り返すという文字通りの戦国時代であった。

呂不韋は、もともと秦の国の人ではない。司馬遷の『史記』によれば韓、また、『戦国策』によれば衛という韓・魏の半服属国の弱小国出身とされている。いずれの記述でも一致していることは、彼が商人であったことである。ここでは、『史記』の記述に基づいて話をしていきたい。

商人と述べたが当時の「商人」とは行商人の意味で、店を構えてビジネスをするのは賈(こ)人と古い時代には使い分けがされていた。商人の語源は、殷(商)王朝(前1559年-前1046年)が周に滅ぼされて滅亡すると、商の人は各地に離散したのであるが、流民であったために土地をもつことができず、あえて彼らは土地を必要としない交易活動に従事するようになった。交易を行うのは商の遺民がほとんどで、徐々にこの出身を表す「商人」が商売を行う人という意味に定着していった。

その「商人」の登場以前は、それぞれの共同体の首長同士が、あるいは共同体ごとに交易を行っていた。商人たちは利害を調整しながら共同体の間に入り、より自由な交換活動を担うようになったのだ。それが「商い」の始まりである。

司馬遷の『史記』呂不韋列伝第二十五には、呂不韋が中国各地を行き来して安く買い取り、高く売り捌く商売をしていた、とあるから「商人」として富を蓄えたものかもしれない。特に中国という広い土地の中にあっては、物が偏って生じることが多々あった。例えば、ある地方では塩が穫れるが、ある山間部の地方ではまったく塩が手に入らない。塩が穫れる土地は、穫れない土地に比して格段に安い価格で塩を手に入れることができる。それを塩のない土地にもたらすことによって利益が得られ、何より人々の役に立つ。物流が社会の血液だとするのならば、商人は血流をうながす心臓である。商人の登場によって、中国大陸は目覚しく発展していった。

それにもかかわらず商人の社会的地位は極めて低く、奴隷の上ぐらいの地位であったといわれる。商人は卑しいものと人々から蔑まれていたのが呂不韋の活躍した戦国時代であった。

奇貨居くべし

呂不韋は中国の諸国を往来し、商売の本質のままに「余っているところで安く買い、足りないところでそれより高く売る」ことで富を得ていたと『史記』にある。商売の本質は現代でも変わることがない。

呂不韋が商用で趙の国の首都、邯鄲(かんたん)に出掛けた折にとある人物の存在を知った。『史記』呂不韋列伝には「呂不韋、邯鄲に賈し」とある。多くの場合、賈は店を構えての商売のことを指すから、もしかすると趙の首都・邯鄲に呂不韋の支店や出張所のようなものがあったのかもしれない。

出張先の邯鄲で呂不韋が出会った人物は、名を異人といった。彼は後に子楚と呼ばれるようになったため、ここでは子楚と名前を統一したい。子は貴人に対する敬称である。実は子楚は、秦の王である昭王(昭襄王)の太子・安国君の息子であった。つまり、祖父が今も君臨している秦王という血筋なのである。

なぜ、そのような人物が他国にいるのかというと、秦から趙への人質として出したからである。しかし、秦はしばしば趙を攻めたので人質の効果はまったくなく、趙としても役立たずの人質を粗略に扱っていた。通常、人質は貴族や賓客と同等の扱いを受けるのだが、人質としての意味をもたない子楚と母の生活は苦しいものであったという。

邯鄲に出かけた呂不韋は子楚に出会い、この人物を気に入って、壮大な計画を企図した。この人物を秦の王にしようという、いわば王をつくるプロデュース計画である。

現役の王の孫で、その後継者である太子の息子なのだから順番が回ってくれば王になれるようにも思えるが、現実はそう甘くはなかった。子楚の母の夏姫は正妻ではなく側室である。それどころか安国君の寵愛を受けられなかったがために母子揃って趙に人質に出されるような人だった。

さらに安国君の子どもは20人以上。昭王が死んで安国君が王位を継いでも、その後は秦で安国君の傍に近侍できるほかの王子たちが圧倒的有利になるのは間違いない。そもそも遠く離れた趙の都で忘れられた存在となっている子楚には、王位どころか将来に希望さえない状況だった。

しかし呂不韋は、敢えてこの子楚を王位につけようと画策するのである。このときの言葉こそが「奇貨居くべし」----この奇(めずら)しい貨(しなもの)は居(たくわ)えておかねばならない。現代では、この言葉は「よい機会は逃さずに、あとでうまく利用しなければならない」という意味で使われるが、実際にはそのような生易しいものではなかった。

王はお金でつくられる

呂不韋のプランは、こうである。秦の王・昭王は当時でいう老齢にすでにさしかかっていた。昭王が亡くなれば、次の王位は子楚の父・安国君が嗣ぐことはほぼ確定している。その次期国王・安国君は華陽という側室を寵愛しており、側室から正室に格上げをするほどの熱の上げようだった。しかし、この華陽夫人(夫人は諸侯の正室に対する呼び方)には子どもがいないのが悩みであった。この秦の情報を、諸国を渡り歩く商人である呂不韋は、正確に把握していた。

子楚という忘れ去られた存在をアピールするためには何をするべきか。安国君と華陽夫人に贈り物をし、そして趙に安国君の息子ありと知らしめるためにさまざまな人脈を高位の者や才能のある者との間に結ぶのが良策であると呂不韋は子楚に提案する。現実はそうかもしれないが、生活苦の子楚には実現できようはずもない。

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そこで呂不韋は黄金500金(鎰)を子楚に与えた。その資金で生活を立て直させ、さらに名士や才能のある人間と交わって風聞を高め、優れた者を客分に迎えさせた。ケチな男では名望が高まるはずもないから、さすがは秦の昭王の孫だという太っ腹さを見せるためにも十分すぎるほどの莫大な金を子楚に与えたのだ。

その一方で、呂不韋自身も黄金500金(鎰)で珍しい財物などを用意して、自ら秦に向かった。この時点で総額は黄金千金。紀元前の異国の価値を現代の貨幣価値に置き換えることはできないが、いまでも千金は値千金、一攫千金という言葉など莫大な財産の意味で用いられる。現代にして数十億円は下らないだろう。おそらく呂不韋は、ほぼ全財産を、あるいはさらに借金をしてすべての資産を子楚に投じたのかもしれない。

秦に着いた呂不韋は、安国君の妻・華陽夫人にターゲットを定めた。将を射るにはまず馬から。次期国王の寵姫で正妻へ直接アプローチするのではなく、華陽夫人の「姉」にまず面会をして信頼を得た。それから、この用意した五百金の財物すべてを華陽夫人に宛てて贈り、「趙で人質となっている子楚様は英明さで有名であります。彼は諸侯や天下の名士たちと交わっております。さらに子楚様は父君の太子様と華陽夫人を心から慕っており、毎夜涙を流しているそうですよ」と、いう旨を言上すると、華陽夫人はとても喜んだという。

そこで呂不韋はすかさず、今度は夫人の姉を華陽夫人のところに行かせた。姉は華陽夫人にこう囁く。「あなたはいまは若く、容色が保てているから安国君様の寵愛はあるけれど、果たしてそれはいつまで続くものかしら」と切り出してから、子楚を養子にしてはどうかと提案する。

「子楚という人物は趙の国でも名士と交わる聡明な人物という風聞も届いているし、もともとは趙で忘れられたような存在なのだから、それを後継者として養子にすれば感謝の気持ちから生涯あなたが秦で一生安泰に暮らせるよう取り計らうに違いない」と、実姉から日ごろからの心配事を指摘されると、なるほどという気がしてくるものだ。先日、訪れた呂不韋からも子楚は華陽夫人のことを心から敬っていると聞いたばかりであるし、子楚を養子にすることが最もいい解決法であると華陽夫人は確信に至った。

夫人は休んでいる安国君に、「子楚という趙に人質になっている王子は息子たちのなかでも群を抜いて聡明で、彼と社交する者たちは誰もが褒め称えている」とあらかじめ言い含めておいてから、子がいない自分の将来は不安であるからどうか子楚を養子にしてほしいと泣いて頼んだのである。安国君は華陽夫人を溺愛していたために、この願いは叶えると約束した。そして安国君と華陽夫人は、呂不韋に子楚の後見人となってくれるよう頼んだのだが、それで大団円とはいかなかった。

生きているだけで丸儲け

秦は王齮将軍に大軍を与えて、趙に侵攻。趙の都・邯鄲を攻撃する。しかしこのとき、まだ子楚は趙の人質として邯鄲に残っていたのである。当然、趙は子楚を処刑しようとした。当時の城は、篭城戦のために市街を高い城壁がぐるりと囲むようなかたちになっており、子楚に逃げ場はない。しかし呂不韋は金六百斤という莫大な金を監視の役人たちに贈り、子楚を邯鄲から逃れさせた(子楚の妻と息子は城内に置きざりになるのだが)。

過分すぎるほどの莫大な金を出したのは、呂不韋の卓見といえるだろう。誰もが判断を誤るほどの金を積んで見せたからこそ、脱出が可能になったのだ。生命より価値のある金など存在しないのだから、呂不韋はむしろ金で買えて得だと考えたかもしれない。

その趙国侵攻の6年後に秦王の昭王が亡くなった。太子の安国君が王に即位。これが孝文王である。それに伴って華陽夫人は后となり、子楚は太子の位にのぼった。しかし、その翌年に孝文王は急死してしまう。そのあとを継いで秦王に即位したのは、当初、後継者レースにエントリーさえされていなかった、あの子楚である。子楚は死後、荘襄王と諡号された。そして荘襄王の、邯鄲に置き去りにしたあの息子・政こそが、後の秦の始皇帝その人である。子楚は秦王に即位すると、呂不韋を国の最高権力者である丞相(じょうしょう)に取り立てて、文信候に封じ、河南に十万戸の莫大な所領を与えた。

「奇貨居くべし」という言葉は、機会を逃さずに価値のあるものをもっておけば後で利益が出る、という株式投資での格言として言われがちである。しかし、呂不韋はただもって待っていたのではない。自ら決断をし、行動をし、子楚に莫大な投資を行うというリスクをとり続けた。まさに「お金で王をつくった」のである。

そして企図から数えて十数年という、当時の平均寿命からすれば途方もない長い歳月のあいだ、呂不韋は行動しながら実が成るのを待ち続けたのだ。

金は運用すると富が増える。それを利殖という。呂不韋が行なったことは利殖ではなく、富の価値転換である。彼の長年の投資行動が、荘襄王を産み出し、ひいては秦の始皇帝を世に生み出すことになった。価値の転換には時間がかかるもので、すぐさま結果として現れることはない。結果を焦って途中でその投資をやめてしまえば、かけた時間も金も労力も信用も、すべてを失う。

アメリカ合衆国第39代大統領リチャード・ニクソンではないが、「負けたら終わりではない。やめたら終わりなのだ」という言葉が、「奇貨居くべし」という言葉の裏側には貼り付いているのだ。

illustrations by Mao Nishida

■主要参考文献■
司馬遷『史記 九巻(列伝二)』新釈漢文大系89、明治書院、1993
司馬光『資治通鑑 第五巻』文淵閣四庫全書珍賞、中国書店、2014
瀧川亀太郎・水澤利忠『史記会注考証・校補』史記会注考証校補刊行会、1956

著者プロフィール
三石晃生
東京生まれ。歴史学者/株式会社goscobe代表取締役
大学2年次より渋沢栄一子爵・井上通泰宮中顧問官らが設立した(公社)温故學會・塙保己一史料館の研究員を務める。現在は同所の監事を兼任。2017年に実証史学の歴史分析手法を用いた世界初の歴史コンサルタント「株式会社goscobe(グスコーブ)」を設立。佐宗邦威氏の(株)BIOTOPE・外部パートナー、金沢の老舗酒造・福光屋顧問、(株)OPENSAUCEで"wiseman"を務める傍ら、映画評論なども多岐にわたって活動。

2020/10/15

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