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マネー
2020.07.10
『MONEY TALKS 夜の窓辺と4つの衛星 −ガリレオ・ガリレイの「稼ぎ」方−』

歴史学者 三石晃生の不定期連載“知られざる、偉人とお金のはなし” 第四回 ガリレオ・ガリレイ

ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)
ガリレオは、木星の衛星発見などの天文分野以外にも落体の法則といった物理分野の業績も残した科学者である。これは、宗教裁判にかけられ「それでも地球は回っている」と言ったとするエピソード(事実ではないのだが)で知られるガリレオ・ガリレイの「お金」にまつわる本当の話である。

ガリレオは、トスカーナ大公国領のピサで1564年に生まれた。
ガリレオの父は音楽教師で音楽に関する著作をいくつか書いているが、音楽教師だけでは生活をしていくことができずに妻の実家の生地屋を手伝いながら生計を立てていた。
家族はガリレオの下に弟が4人と妹が2人。一家全員を合わせると9人家族。この子だくさんが、後にガリレオを悩ませ続けることになる。
ガリレオは17歳でピサ大学に入学するも3年半で大学を中途退学するのだが、理由は大学の旧態依然とした学問に厭気がさしたとも、経済上の理由ともいわれている。おそらくは、その両方ではなかっただろうか。

ガリレオの就職活動

ガリレオは退学後に良き師と出会ってユークリッドやアルキメデスの数学理論を学び、自ら科学論考を書くほどになっていた。
家庭教師で糊口を凌いでいたガリレオだが、大学の教授職を求めて就職活動を開始する。いくつかの佳作な論文を著していたので教授になれる実績はすでにあったが、庶民の出であるために有力なコネがなく、なかなか大学に採用されないでいた。
自分の論文を「批評を仰ぐ」という名目でさまざまな知識人や教養の高い有力者に送っていたが、そのうちのひとり、グィドバルド・デル・モンテがガリレオの才能を認めて互いによしみを結ぶ間柄になった。このデル・モンテ家は、一族のなかから教皇や枢機卿を輩出し続けるヴェネツィア屈指の名門貴族である。
ちょうどそのころ、このグィドバルドの弟フランチェスコが枢機卿になったので、ガリレオはすかさず以前選考で落とされたことがあるピサ大学の教授職に再び応募した。今回は枢機卿の推薦を受けての再応募であり、合否結果はもちろん採用。
4年にわたる無職の期間を経て、25歳のガリレオはピサ大学の数学教授になったのである。

ガリレオの家計簿

教授とはいえ定められた任期があり、現代の専任講師に近い。
教授になれば研究に専念できると期待をしていたガリレオだったが、それは大いに裏切られることになる。ピサ大学では「理由の如何を問わず」休講すると年俸の一部を返納しなければいけないという規定があった。母の急病や川の氾濫で大学に行けないことが重なった年は契約年俸の10分の1程度の給与しか貰えなかったし、契約通りの金額を受け取れた年は一度たりともなかった。
こうした不満もあってか、ガリレオの学内での素行は悪かった。ピサ大学の教授に義務づけられていたトーガという上衣の着用を守らず、またほかの教授たちを嘲笑する詩を書いたりなどしていたために大学当局の印象は非常に悪く、教授契約の更新はなされなかった。

ピサ大学の契約終了からほどなくして、ヴェネツィア共和国のパドヴァ大学の数学教授の職を得ることに成功した。これも先ほどのデル・モンテ兄弟の助力のお陰である。

このパドヴァ大学の教授をしていた時期のガリレオは、最も知的に充実していたといわれる。後に発表される落体法則の実験や、地動説への理論的深化もこのころに培ったもので、天体における主要な発見はほぼこのパドヴァ大学時代になされた研究である。

しかし、深刻な問題が発生していた。それが家計の問題である。
ピサ大学教授時代に、ガリレイ家の大黒柱である父が他界。薄給なガリレオが家長となり、母、弟4人妹2人の7人を扶養しなくてはいけなくなってしまったのだ。
特に頭を悩ませたのが、妹の持参金であった。
当時は、結婚をすると新婦の実家は新郎の実家に多額の持参金を渡さねばならならず、ガリレオは上の妹の持参金をなかなか工面できず、支払いの遅滞を理由に新郎側から訴訟を起こされそうになったこともある。十数年後に下の妹が結婚をしたときにも同じように金策に奔走しなくてはならなかった。そのときにはまだ幾分かマシで、大学から給料を前借りをしてなんとか持参金をつくっている。
加えてこのころ、ガリレオの6歳年下の内縁の妻マリナ・ガンバとの間に2人の子が誕生している。これらふたつの家庭の家計が、すべてガリレオひとりにのしかかっていた。

ガリレオ流副業のススメ

ガリレオのパドヴァ大学での年俸は180フィオリーノ(フィレンツェで発行された貨幣、フロリンともよばれる)で、以前のピサ大学の約3倍にはなったが、それでも同僚の哲学教授の10分の1以下の給与に過ぎなかった。
給与を上げろといって上がらないのは、世の常である。なければ新たにつくるしかない。
まずガリレオは庭園つきの大きな家を借りた。その家でイタリア各地や外国から来た学生向けのシェアハウス・ビジネスを始める。さらに別料金の追加で、人気教授ガリレオがプライベート家庭教師になり、大学では教えない内容まで教えてくれる。ほかにもガリレオは、講座を受講する学生向けの教科書を自作しており、ここからも収入が見込めた。
これら下宿屋、プレイベートレッスン、教科書は、いずれも12世紀に大学が誕生して以来よくある教授の典型的副業である。
これらの副業は身入りがさほど良くなかった、あるいは無償でやっていたのだという説もあるが、いずれにせよガリレオを豊かにするまでの収入ではなかったようだ。必要は発明の母。経済的逼迫は、ガリレオをさらなる副業へと導いた。


ガリレオは「幾何学的・軍事的コンパス」という道具を開発していた。大砲は、火薬の装填量と仰角によって着弾点が決定される。当時は幾度も試し撃ちをしながら微調整を加えて大砲を撃っていたのである。しかしこの器具を使うと、着弾点にふさわしい仰角と必要な火薬装填量までわかるという優れた計測器であった。
ガリレオはこの器具の販売を開始するが、販売利益が主目的ではなく、真の目的は「有益な道具をつくり出せるガリレオ」を宣伝するためであった。言葉だけではなく実際に見てもらうほうがよい。『論より証拠』はガリレオの人生における一貫した戦略である。
実際、このコンパスはトスカーナ大公の手に渡り、それがきっかけでガリレオは、少年時代の公子・コジモ2世の家庭教師に登用される。後にコジモ2世は19歳の若さでトスカーナ大公に即位。最初のガリレオのパトロンになり、強力な庇護者としてガリレオを守り続けることになるのであった。

ガリレオ式望遠鏡

1609年以降、ヨーロッパにガリレオの名が知れわたるようになった。
望遠鏡の改良がすべての始まりであった。
その前年、オランダの眼鏡職人が望遠鏡の特許を申請したのだが、最大倍率はたったの3倍。さらに像が歪むため、デキの悪いオモチャに過ぎなかった。
しかしガリレオはこの望遠鏡に未来の可能性を感じ、研究を重ねて9倍の倍率に改良する。さらに研究を続け、最終的には光学知識に基づいて32倍の倍率まで可能になったと自著『星界の報告』で述べている。ガリレオはこの自作望遠鏡で、月面観測、木星の衛星発見、金星の満ち欠け、太陽の黒点観測などの天文学上の発見を次々に成し遂げていく。
その一方でガリレオは工房を構えてガリレオ式望遠鏡の大量製造をしながら、自らの新発見をわかりやすいラテン語で書いた『星界の報告』という著作を急いで出版している。

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売らないビジネス

この当時、友人たちに宛てた手紙のなかで「自分には考える時間さえない」と大学と副業で時間をとられる生活に不満を漏らしていた。望遠鏡を売れば莫大な富が手に入るのは確実であったが、ガリレオはそうした製造・販売業者にはならなかった。ガリレオ工房の望遠鏡は原則的に非売品である。トスカーナ公国を通じて、各国の要人や重要な高位聖職者にだけ限定的に贈られている。そのため莫大な富を有する王侯貴族たちは、こぞってガリレオの望遠鏡を欲しがり、ガリレオの元に多くの王や上級貴族からの手紙が届いていた。売らないことが、莫大な無形資産を産んだのである。

ガリレオの望遠鏡は、しばしばこの『星界の報告』とセットで贈られた。
本だけで届いても興味がなければ読まないし、それだけではガリレオ説を否定する者の考えを改めさせることができない。そこで著作に書いてあることを追体験できる実験器具をセットにすることで、天文に興味のなかった王侯貴族も自ら月を観測して驚き、そしてガリレオの著作に親しむことになる。
またガリレオ説の反対者も望遠鏡で観測すれば、ガリレオ説が正しいという揺るぎない証拠を見ることになる。まさに論より証拠である。

星々をあなたに

ガリレオは、有力なパトロンになり得るトスカーナ大公メディチ家に対して、自分が発見した木星の衛星をプレゼントした。現在、イオ、エウロパ、ガニメデ、カリストと呼ばれている木星を周るガリレオ衛星を、コジモ2世に捧げて「Cosmica Sidera(コジモの星々)」と命名したのだ。結果、それは4つの衛星をメディチ家の四兄弟に擬して「Medicea Sidera(メディチの星々)」と名付けられることになった。

アリストテレスが唱えた通説では、「全ての星は地球を周っている」はずであったが、「メディチの星々」は木星を周回しており、アリストテレスの理論に反している。つまりこれは天動説を根底から覆す証拠にもかかわらず、反ガリレオの天動説の学者たちは全員何も言わなかった。星々がメディチ家の名前を冠してある以上、非難すればトスカーナ大公国を非難したのと同義になるからであった。


星ブームは王侯貴族のなかでさらなる高まりをみせていた。フランス王家は、新星を発見した際には一生不自由のない生活を約束するので自分の「アンリ」という名前を星にネーミングして欲しいという手紙をガリレオに送った。ガリレオがアンリ星を「発見」することはなかったので莫大な富がもたらされることはなかったが、望遠鏡の業績が評価され大学での待遇は向上した。
パドヴァ大学の契約は終身雇用に改められ、年俸1,000フィオリーノの約束が取り交わされた。パドヴァ大学赴任時の給与が180フィオリーノだったのを思い出していただきたい。しかしガリレオは未だこの収入に満足していなかった。これでも同僚の哲学教授より少ない額で、大学内でもとりわけ高給というわけではなかったのだ。


彼はメディチ星の献上でコジモ2世のハートを掴んでいたため、「ピサ大学教授兼トスカーナ大公付哲学者・首席数学者」の地位を易々と得て、故郷トスカーナ公国へ帰ることになる。
ガリレオの友人たちは、パドヴァ大学から離れてフィレンツェのトスカーナ大公の臣下になることに反対し、何度かガリレオの説得を試みた。
友人たちの指摘はこうだ。パドヴァ大学はイエズス会と敵対するヴェネツィア共和国に属しているため宗教権力に対抗し得る学問の自由があるが、フィレンツェはイエズス会の力が強い地域であるために学問に宗教権力の介入が予想されること。そしてもうひとつは君主に仕えることは、君主の一存に翻弄されるリスクがあること、であった。
これに対してガリレオは、ヴェネツィアは共和国で君主制ではなかったために複数の有力者たちに認められるためのアピールにかなりの労力を割かねばならず、時間と労力の損失が甚だしい、と答えている。それに君主といっても自分と懇意な元教え子コジモ2世であるから、万が一など起ころう筈がない、と友人たちのアドバイスに耳を傾けなかった。
結局フィレンツェに帰ったガリレオには、教会権力と癒着した反ガリレオ派の集中砲火が待ち受けていた。そして、彼が最も頼りにしていた守護者コジモ2世は30歳で早逝してしまう。友人たちの忠告は、未来の報告であったかのようにすべて的中してしまったのだ。

サークルゲーム

反ガリレオ派は科学論争ではまったくガリレオに勝てなかった。そこで「地動説は聖書に反している」という宗教論争に持ち込んでガリレオを倒す罠を仕掛けた。宗教と科学とは次元が異なる。宗教議論の論駁はキリスト教学のなかでしかなし得ず、科学世界の証拠やロジックはなにひとつ通用しなかった。
1633年、異端審問所審査でガリレオは終身刑(のち自宅軟禁)の有罪判決を受け、長年積み上げてきた研究の大部分と地動説とを異端であると宣言をさせられ、生涯それらの放棄を誓わされた。
しかしガリレオが解き放った天体ブームはすでに庶民にまで浸透、イタリアから離れたチェコでは、ケプラーが星々の軌道は太陽を中心とした楕円であることを発見していた。
王侯貴族の天体熱は徐々に庶民にまで広がり、高倍率の望遠鏡が安価で購入できるようになると庶民も空を見上げるようになった。ガリレオが宗教裁判で地動説の否定を強制されようとも、人々は暗黙の環を抜け出して、宇宙の摂理を知り始めていたのである。

illustrations by Mao Nishida

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Museo Galileo ホームページ
http://www.museogalileo.it/en/

著者プロフィール
三石晃生
東京生まれ。歴史学者/株式会社goscobe代表取締役
大学2年次より渋沢栄一子爵・井上通泰宮中顧問官らが設立した(公社)温故學會・塙保己一史料館の研究員を務める。現在は同所の監事を兼任。2017年に実証史学の歴史分析手法を用いた世界初の歴史コンサルタント「株式会社goscobe(グスコーブ)」を設立。佐宗邦威氏の(株)BIOTOPE・外部パートナー、金沢の老舗酒造・福光屋顧問、(株)OPENSAUCEで"wiseman"を務める傍ら、映画評論なども多岐にわたって活動。

2020/6/8

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