東京・尾山台のオーボンヴュータンは、日本のフランス菓子の先駆者として知られる河田勝彦さんが、1981年にオープンしたフランス菓子店。66年に渡仏し、パリなどの名店で製菓を学んだ河田さんがつくるお菓子のなかには、現在では本場でもあまり見られなくなっている伝統菓子も豊富です。ショーケースの中にずらりと並んだお菓子は、それぞれが長い歴史のなかで育まれた個性を放ち、妍（けん）を競い合っています。

なかでも、知る人ぞ知る受注生産の焼菓子「ガトー・ピレネー」は、河田さんが1980年代からつくり続けている、フランス南西部・ピレネー地方の郷土菓子。現在ではフランスでもつくっているお店が少なくなっているそうですが、そのやさしい味わいは老若男女を惹きつけ、わざわざ遠方から買いに来る人も多いほどです。

３日以上前の予約が必須な理由

ガトー・ピレネーには３種類のサイズがあり、（小）は高さ20cm4,644円、（大）は30cm9,450円、（特大）は60cm19,656円。

30cm（大）以上のものは、そのままテーブルに出すとオブジェのような存在感です。ホームパーティの手土産にすれば話題を集めること請け合いですが、購入には３日以上前の予約が必須。というのも、ガトー・ピレネーはほかの焼菓子とは焼き方がまったく異なるお菓子だからです。

長い心棒に生地を巻きつけ、特別な窯で心棒を回しながら焼く伝統的なつくり方は、つきっきりで取りかからなければできません。しかし、お店はこのお菓子だけをつくっているわけではありませんから、１日に焼ける数は最大８本なのです。

予約した日にガトー・ピレネーを受け取りに尾山台店へ向かうと、環八通りに面したファサードは、そこだけがパリの街角のパティスリーのような佇まい。クラシックなシャンデリアに彩られた店内には、焼菓子、ケーキ、チョコレートからジャムの瓶まで、目移りするほど豊富な商品が並んでいます。その一角に小さなガトー・ピレネーも並んでいますが、ディスプレイされているものは非売品。予約した人は、カウンターで名前を言うとバックヤードから商品を出してもらえるシステムです。

ロゴ入りの紙袋で手渡されるガトー・ピレネー（大）は、高さが30cmもあるだけあって、さすがにずっしりした重量感。帰宅して包みを開けば、オレンジの香りがふわりと鼻をくすぐります。

側面の凹凸こそガトー・ピレネーの魅力

ガトー・ピレネーの側面に見られる特徴的な凹凸は、心棒を回しながら焼くときに、生地が重みで下がることによって生まれるもの。生地を少しずつ重ねながら焼くことで生じる年輪状の模様は、ドイツのバウムクーヘンにも似ています。河田さんから「ガトー・ピレネー」がバウムクーヘンの原型とされているお菓子であることをうかがえば、ヨーロッパ各国の食文化が互いに影響し合っていることに気づかされます。

「ヨーロッパは地続きですからね。本場のガトー・ピレネーは薪火で焼くので、もっと焼きムラがあって表面の凹凸も激しいのですが、わたしはその野性的な雰囲気がこのお菓子の魅力だと思います。ただし、本場のガトー・ピレネーは生地が固いので、オーボンヴュータンではオリジナルのワイルドさは残しつつ、生地は改良しておいしく仕上げています」と河田さん。

幸せを象徴する年輪模様

ドイツ生まれのバウムクーヘンは、日本では贈り物として使われることが多いお菓子ですが、それは断面の年輪模様のため。"年輪のように幸せを重ねる"という意味では、親戚筋にあたるガトー・ピレネーも、おめでたいシーンにふさわしいお菓子といえるでしょう。

一方、上から下まで均一な太さのバウムクーヘンと異なり、ガトー・ピレネーは上部の直径が小さく、下部の直径が大きな形。適当なサイズに切り分けるにはどうしたらよいかと迷うかもしれませんが、（大）の場合は３分の１の高さで水平に（リング状に）切り、それから縦６等分ぐらいにカットするのが河田さんのおすすめです。

切りたてのガトー・ピレネーを味わえば、ゴツゴツした凹凸のある側面はサクッとしていて、内側はややしっとり。ルーツである郷土菓子の素朴な面影は残っていますが、巨匠が研究を重ねて配合した生地は、香り、風味、甘味のバランスが実にお見事です。淹れたてのコーヒーや紅茶とともに味わえば、まさに至福のひととき。

オーボンヴュータンのガトー・ピレネーの賞味期限は、常温で21日間。ホームパーティなどで友人とおいしさを分かち合うのはもちろん素敵ですが、日持ちがするため、おやつの時間に毎日ひと切れずつ味わうことも可能です。そんなガトー・ピレネーを食べたいと思ったときは、さっそくお店に電話してみるのが吉。最短で3日後には、21日分の甘い幸せを受け取ることが可能です。

2019/4/4取材
2021/3/12編集