世の中にはチーズケーキに一家言もつ人の、なんと多いことでしょう。そんな人たちに、一番好きなチーズケーキの店は？ と聞けば必ず出てくる答えのひとつが、料理研究家・ホルトハウス房子さんのお店「ハウス オブ フレーバーズ」です。

料理教室からパティスリーへ

それは鎌倉山の住宅街のなかにひっそりと建つ、小さなパティスリー。アメリカ人の技師と結婚したホルトハウス房子さんはアメリカをはじめ、台湾やタイなど海外での生活経験が長く、昭和40年代ごろから欧米の生活のなかで培った料理を皆さんにもお裾分けしたいと、友人を集めて料理教室を開きました。ハイカラな洋食が珍しかった時代に、豊かな欧米の食文化を伝えるお料理はたちまち評判になり、雑誌やテレビでも紹介されるようになりました。なかでも、お菓子の完成度の高さは格別で、お菓子だけをわけてほしいという声も多く聞かれるようになったのです。

思い出のチーズケーキをかたちに

そんな要望が高まり、ついに1994年に自宅の隣にパティスリー兼カフェを開きました。月替わりで季節に合わせた手づくりのお菓子を供していますが、なんといっても人気は定番のチーズケーキ。そう、このチーズケーキこそが、「ハウス オブ フレーバーズ」の象徴です。

「初めてチーズケーキを食べたときには、その想像を超えたなめらかさ、おいしさに、ただただショックでした」と著書『ホルトハウス房子のお菓子』（文化出版局）のなかで書いていますが、ニューヨークで初めて体験したその美味しさを再現したいと、つくり始めたケーキなのだそう。また、1972年に出版した初めての著書『ホルトハウス房子のおもてなし料理』（文化出版局）では、お菓子づくりは、家庭の行事と密接に結び付いていて、家族の歴史そのものであり、人生を豊かに彩ってくれるパートナーであるとも。クリスマスのお菓子のひとつとして、このチーズケーキの初期のものを紹介しています。「......クリームチーズを主体にした濃厚な味のチーズケーキを作りました。なめらかな舌ざわりと上品な甘さが、ブランデーやシャンペンともよく合う、おとなのお菓子です。クリスマスに限らず作っていただきたいお菓子です」とあります。

もちろん、ホルトハウス房子さんは、その後の日本でこれだけチーズケーキがブームになるとは考えもしなかったでしょうけれど、当初から大人も楽しめるスイーツとして紹介しているのです。だからこそ、ハウス オブ フレーバーズがオープンして、チーズケーキが売り出されるようになると、大１個10,000円（現在は16,000円）で売られ、皆、衝撃を覚えたもの。そして、大人が楽しめるケーキとして、四半世紀にわたって、販売され続けています。

レシピ完成までの試行錯誤の30年

一見レアチーズケーキのようですが、低温でゆっくり火を入れた、レアとベイクドのちょうど中間のような味わいと食感。断面を見ると３層になっていて、いちばん下がグラハムビスケットを砕いてバターと砂糖を混ぜたクラストの層、真ん中がクリームチーズをベースにした生地、そして上にはサワークリームの層が２センチほど。決して複雑な造りではありませんが、ベースのチーズケーキ部分でも、Ａ社、Ｂ社、Ｃ社、Ｄ社......と、それぞれ風味もテクスチャーも異なるクリームチーズを試し、さらに加える卵と砂糖の配合の比率を変えながら、毎週のように試作を重ねたそうです。なんと、現在の完成されたレシピに行きつくまでに30年もかかったというのですから、あくなき探求心には頭が下がります。

究極のチーズケーキのつくり方

教室のレパートリーの中からスイーツのレシピだけを取り出してまとめた『ホルトハウス房子のお菓子』（文化出版局）によれば、まずグラハムクッキーを細かく砕き、溶かしたバターと砂糖を加え混ぜ、型に貼り付けて冷やし固めます。その中に、クリームチーズ、砂糖、卵をなめらかに混ぜ合わせたものを流し入れ、170℃のオーブンでゆっくりと焼きます。上には砂糖を加え混ぜたサワークリームを注ぎ、220℃に温度を上げたオーブンでさっと火を通して出来上がり。オーブンから出して粗熱がとれたら、冷蔵庫で冷やし固めて供します。材料もミニマルなら、つくり方もごくシンプル。それでいて、多くの人が愛してやまず、驚くほど高いリピート率でホールケーキを購入するというのですから、シンプルゆえの完成度の高さには驚くばかりです。店内で食べるとコーヒーか紅茶がついて2,750円。持ち帰りまたは発送はホールサイズの小が7,000円、大が16,000円です。

紅茶とチーズケーキで豊かなひととき

店舗を上から見ると、葉っぱのかたちをしているそうです。店の前の榎の木を見て、設計・建築を担当した齋藤裕さんが思いついたのだと聞きました。傾斜地に建つ店内は、入り口を入って階段で下がるにつれ、目の前に鎌倉山の深い緑が開けます。店内のゆるやかなカーブは、くるみの木の天板の自然なアールに沿って計算されたものだとか。イートインのスペースは、窓越しに山を見下ろす絶景ポイントに。木をふんだんに使った店内が、周りの自然に呼応して、なんとも贅沢な空間です。

そんな店内で、大ぶりに切られたチーズケーキに、ポットでたっぷり入れた紅茶を合わせていただけば、東京から１時間たらずの場所でありながら、時間の流れ方がまったく異なるのを感じることでしょう。店を出ると、目の前をグレーの毛並みも美しい猫が、ゆったりと歩いています。愛猫のセルカークレックス種の空ちゃん。きっとお客さん皆に可愛がられているのでしょう、逃げるそぶりも見せません。それどころか人懐こく体をすりつけてくるではありませんか。ホルトハウス房子さんは、お菓子を通してそんな豊かな時間の過ごし方を教えようとしているに違いありません。

Words: Hiroko Komatsu　Photos: Michinori Aoki @ LIGHT, Taku Kasuya

2019/10/21取材
2020/7/17編集
2021/6/24編集
2023/6/9編集

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